「せんせーせんせー大変だぁ~~」
学園へやってくると、ある児童が・・・慌てながら指導員にやってきました。
すると、カバンの中から3枚の答案が・・・
最初の一枚・・・漢字の小テスト10点中9点・・・
「くやしかったよぉ・・・」
次の一枚・・・理科のテスト100点
「あぶなかったよぉ~~~」
次の一枚・・・国語のテスト100点
「ぼくさぁ~、国語大嫌いだったんだけど・・・生まれてはじめて100点とったぁ~」
一喜一憂。
中にはテストを見せてくれない児童もいます。
しかし、この児童はある指導員とこのテストの結果を喜びたかったのでしょう。
ただ、私が思うのは褒められたいだけでもなさそうです。
というのは、この児童にとっては・・・
いや、この児童とこの指導員にとっては・・・テストの結果を見せることまでが、指導過程であったのではないかと思います。
また・・・それをどうお母さんに見せるか?が、ゴールなのですね。
この100点物語は・・・もちろん、一朝一夕でできたものではありません。
国語が大っ嫌いな・・・その児童は・・・
宿題で何回も何回も覚えてしまっても漢字の書き取りをさせられることが特に大嫌いでした。
また、クラスで朗読し・・・漢字を読み間違えたり、噛んでしまったり、読み間違えをすると・・・クラスメイトに冷たい声で指摘されるのも嫌いでした。
嫌い嫌いで・・・「どうせ、僕は国語で100点なんかむりなんだよ!」
それを聞いていた指導員は・・・本当に100点とれないか?やってみるかい?
それから、毎日毎日・・・朗読を繰り返し。
段落ごとの、読み取りを一所懸命に繰り返し行いました。
そこで、クラスで朗読があった際・・・毎日何回も読み返して・・・一節については、覚えてしまうぐらいになっていたので
大変、クラス担任に褒められたそうです。
「ぼく、もしかして100点とれるかもしれない・・・」
本当に真剣に・・・毎日、繰り返し、繰り返し学習をしました。
そして、ある日・・・「今日は、もう宿題終わったから何もしなーーい!!」
・・・と、ある指導員から「んじゃ、さっき理科のプリントあったけど見せて・・・」
問題を抜き出し、再びテスト形式でおこなってみました・・・
「あれ、わかったつもりだったけど・・・こんなに、わからないんだ」
無知の知と言いますが、知ってたつもりのことを再びやってみて・・・一回ではだめだ・・・と自分で気づいたのです。
再び・・・指導員とこのプリントを100%できるようにがんばりました。
そして、テスト当日・・・
「もしかすると・・・100点かもしれない!」
と、自信を持った笑顔でやってきたのです。
そして、今回の100点・・・
苦労があってこその・・・努力あってこその・・・点数です。
ただの成績ではないのです・・・ここまでの学習が生んだ、結果なのです。
だからこそ、その傍らにいた指導員とこの喜びを分かち合い・・・
自信をもって、迎えにやってきたお母さんにこの答案を・・・見せてゴールすることができました。
どんな子でも、100点が欲しい。
しかし、そんなに簡単には手に入るものではない。学年があがればあがるほど・・・
だから、ある小学校6年は・・・「小6で100点っていうのは・・・」なんて言いながら諦めた感じていっていました。
しかし、この児童も・・・一所懸命に指導員とともに取り組み・・・自らの手で手に入れたのです。
この100点の意味とは・・・
必要とするときに、ベストなタイミングで、
適切な支援をする指導員が傍らにいたということです。
だからこそ、再度確認です。
いよいよ、明日が終業式で・・・夏休みに入ります。
ある学校の調査で・・・児童たちの夏休みの過ごし方とは・・・「留守番」と書いてあり、その横に「ゲーム」「テレビ」と書いてある現状です。
子どもの真の成長や変容を願うならば・・・まず、
必要とするときに、ベストなタイミングのアンテナを広くはらなければなりません。
そして、より適切な支援かなってこその成長なのではないでしょうか?
不可能なことを可能にする・・・諦めさせず・・・続けさせる
そうして、生まれた100点。
これを元本として・・・さらなる成長への機会づくりが大切であると考えます。
それが、幸福を求める力と言われるセレンディピティと言われるものではないでしょうか?