子どもって、大人をよく見てますよね。
更に、大人の会話、表情、言動等を見て、心まで読みとっているようです。
ある児童が、ある指導員に対し、「先生、いつもと違うよ・・・、どうしたの・・・」なんていうのです。
指導員として、日々、冷静沈着でいなければいけないのに・・・、
手本的存在でいなければならないのに・・・。
子どもに教えられました(共育・・・)。嬉しいものです。
でもこうやって、子どもたち、指導員共に成長していくのです。
これも、教育立県彩の国くき学園の特徴の一つなのです。
また、本日、サッカー教室、水泳教室、学習教室が・・・。
どの教室も言えることは、
「当たり前」「常識」の言葉において、子どもと大人が、とらえ方が、全然違うのです。
当然のことですが・・・。
どの教室も、当たり前のように取り組んでいることでも・・・、
どの教室も、こんなこと常識だよということでも・・・。
サッカー、水泳での礼儀・マナー面、大人がこんなこと、当たり前だよと・・・。
常識だよと・・・。
でも、子どもにとっては、まだまだ経験値が低く・・・、大人の考えとは・・・。
ここで、やはり、子ども第一に・・・、子ども目線で考えてあげることが・・・、
そして、経験を積ませること(日数が多くなって・・・)で・・・。
大人目線での言動には、留意すべきことが多々ありますね。
子どもの伸び、成長、変容に、大きく左右することに・・・なんて思いました。
これを読んで、どうお思いになられましたか・・・。
ご家庭でも、親としての「当たり前」「常識」、
子どもとしての「当たり前」「常識」には・・・。
ここで、子どもの自尊心を十分に考えて・・・。
学習教室でも、自学自習、個別学習、指導員と1対1学習、少人数学習・・・、
いろいろありますが、ここでも、子どもにとっての「当たり前」「常識」、
指導員としての「当たり前」「常識」には・・・、差があるのです。
指導員は、子どものことを考え、指示を出しているにも関わらず・・・。
子どもって、大人を見て、成長していくのです。
我々大人が、子どもの前では特に言動には注意を払わねば・・・。
『当たり前』と思っていることが『常識』
『当たり前』だから疑問を抱くこともないし、そもそも気にも留めていないことだってある。よく「常識を疑え」なんて言うけど、気にも留めていないことを疑うのは簡単ではありません。でも自分の常識とは異なる常識と出会った時に、自分の中の常識がフッと姿を現す時があります。
常識とは:
常識(じょうしき)は、社会を構成する者が有していて当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと。[要出典]また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。対義語は非常識(ひじょうしき)。社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。これは文化摩擦などとして表面化することもある。
当たり前とは:
当たり前の意味は「誰が考えてもそう思うこと」「当然な様子」「普通と変わってないこと」「世間なみ」となります。
このような意味であることから「当たり前」という言葉が指すものは時代や場所で変わるので、当たり前とは何か?というものを定義することは難しいかもしれません。
当たり前のことを当たり前にする。という言い回しがありますが、その当たり前って何?という定義は人によって異なってきます。
人として、
常識、当たり前という言葉の基準が違っているのでは・・・・
この基準によって、
信用、信頼に大きな影響があるのでは・・・・・・
子どもは、
大人の常識、当たり前の行為を見ていますよね・・・・。
ちょっと怖い気が・・・。
我々大人も、我が身を振り返りましょう・・・・。
我々大人は、まず、子ども第一に・・・
我々大人は、子どものよりよい変容のために・・・
我々大人は、子どもに明るい未来を・・・
そのために、
どんなことがあっても・・・
全知全霊・・・、全身全霊をもって・・・