先輩の手本となる学ぶ姿・・・・ 

今日、中学2年生と3年生がとなり合わせで学習を・・・・、それぞれ指導員がついていましたが・・・。中2担当の指導員は、3年生の学習している姿、雰囲気を見せていました。3年生は、楽しそうに相談しながら、支えながらの学習で、みんなで学習している雰囲気でした。これを見た2年生は、「こういふうにやるんだ」「楽しそうで、いいなか~」「凄く難し問題を・・・、聞くと高校1年生の問題を・・・・、この難しい問題を楽しそうに学習している、これがいいんだよねと・・・」

 ある中1の生徒は、英語の長文読解を・・・・・、この子も、高校1年生のそばでの学習でしたので、この1年生は、先輩のやり方を見て、指導員が高校生に指導をしている言葉を聞いてか、中1にも関わらず、長文読解のやり方に気づいたかのように・・・・、指導員にいろいろ聞いていました。指導員は、即座に褒め言葉を・・・。

以上は、勉強なのでしょうか・・・・、学びなのでしょうか・・・・。

何しろ、自分で考え、判断しながら、学習方法を・・・・。

                   これこそ・・・・・。

 こうやって、子どもたちは、

     自分で気づき、感じ、いろいろ試行錯誤して、

「知」を本物にしているのです。

 

 ここで、勉強と学びについて考えてみます

 勉強とは、「答え」がほしい。勉強が分からないということは恥ずかしい。うまいやり方、有効なやり方を教えてしまえばいいなんて・・・・。自分で考えるより、分かっていることで解けばいい・・・・。
 

 学びとは、本当のことが分かりたい。分からないということが分かれば楽しい・・・。いろんなやり方でいろいろとやってみる・・・・。

「自分でおやっと思ったことを、自分で確かめるってことがありなんだと・・・。」と言う中学生の話にとても感動しました。「教えが先にあるということが大前提で、教えに従うのが勉強・・・・。教えるってどういうこと・・・・。教わる側の子どもにとってはどういうことなのだろう・・・・。考えて下さい。

 教えるっていうことをしている人は、そういうことをしているということを自覚すべきで・・・・。
 子どもは教わりたがっている。それに答えてあげるのが教育・・・と考える方もいますが、ここに「ポイント:重要」と考える。子どもは教えている人の暗黙の要求に必死で応えようとする思考があり、教える人の意図を先取りしようとする。何をやってほしいのか、どうやってほしいのかということを言われなくても分かるようになることに、一生懸命になる。そして教える側(指導員、教員)の意図を先取りする子どもたちによって進められていくと、子どもたちが生き生きと発言している「みごとな」学習ができあがる・・・・。しかし、人間は本当に教え教えられる存在なんだろうか・・・・。疑問が・・・。

 勉強と学びの定義は、『勉強』=教えに従って『身につけるべきこと』を身につけること。『学び』=自分から『こうありたい』自分になること・・・・。考えてください。

「勉強とは、分からせたいことや学ぶべきことを想定して、上手に学ばせて先取りする姿が良いと・・・・。それに対して、自分で本当だと思うことを自分で楽しみながら探求していくことが、「学び」では・・・・。現在の学校教育でクラスに学びがあるでしょうか・・・。いい学習をしているって・・・・。どんな学習・・・・。

「人に教えられたものは身につかない。

   自ら探して得られたものだけが自分の力になる。」

            これこそ、生きる力に・・・・・。

 あの言葉はなんだろう、どういう意味だろうと、自分の人生に置き換えて何度も何度も反芻しながら試していく中で、あるとき気が付いたら身についているというのが現実の学びではないかと思います。

 ご家庭で、テスト点数をやはり気にしますよね・・・。

    勿論当たり前です。

 でも・・・、どう勉強してきたか・・・、

       どう学んできたという視点で考えると・・・・。

 目先ではなく、長い目で考えたら・・・。

         保護者の皆さま、考えてみて下さい。

 

 学園では、子どもたちの個性に合わせて、

           両面を考え、指導支援しています。

 更に、今日は、さわやかスポーツを実施しました。

    大きな公園(権現堂)に行って、

       公園の周りを、皆で楽しくウォーキング、

    大きな広場で、ボール遊び、

       そして、ダッシュも・・・、鬼ごっこも・・・、

 これも、ひとつの学びに繋がっていると考えます。