「門前の小僧習わぬ経を読む」。このことわざは、昔から伝わるとおり、
人は身近な環境の中で自然と多くのことを学ぶという意味を持っています。
特に、子どもにとって家庭や学校は「門前」のような存在であり、
大人の振る舞いや言葉、日々の習慣が、子どもたちに無意識のうちに伝わっていきます。
まだ自ら意識して学ぶというより、目にしたもの、耳にしたことがそのまま模倣されていく幼少期や学童期の子どもたちにとって、
まわりの環境はまさに「教科書」となります。
そのため、私たち大人がどんな姿勢で日々を過ごしているかが、
子どもの人格形成に大きな影響を与えることを忘れてはなりません。
たとえば、挨拶を交わす姿、靴をそろえる姿勢、
食事のときの「いただきます」「ごちそうさま」、使ったものを元に戻す、
時間を守るといった基本的な生活習慣の一つひとつは、言葉で教える以前に、
身近な大人の行動から吸収されていきます。子どもは大人が思っている以上に、よく見て、よく聞いています。
ある小学生の男の子が、「お父さん、休みの日になるとずっとスマホを見てるんだよ。
だから僕もゲームばっかりやってても大丈夫だよね」と話していたことがありました。
その言葉には、私たち大人が思っている以上に、
子どもが親の姿勢を自分に当てはめているというリアリティがあります。
このような日常の中の「無言の教育」は、決して小さなものではありません。
子どもたちは、大人の言動をまるでスポンジのように吸収し、
それがやがて習慣となり、価値観や行動の基盤へとつながっていきます。
ですから、私たちが子どもに伝えたいことがあるならば、まずは自らの姿勢を見つめ直し、
「見せる教育」を意識することが求められます。
一方で、習慣の力も侮れません。
よい習慣は、子どもの自立心や自己肯定感を高め、社会性を育むための土台となります。
朝起きたら布団をたたむ、帰宅したら手を洗う、決まった時間に宿題をする。
こうした一つひとつの積み重ねが、「できる自分」「頑張る自分」という意識へと育っていくのです。
子どもにとって習慣とは、大人以上にその人となりを形づくる重要な要素です。
なぜなら、自分で何かを決めて実行するという意識がまだ十分に育っていない時期だからこそ、
日常のパターンがそのまま「生き方」になっていくからです。
ところが、こうした成長の土台にある「環境」や「大人の姿」が、近年では変化を見せています。
特に、インターネット社会の急速な進展は、子どもの学びの在り方にも大きな影響を与えています。
今の子どもたちは、知りたいことをすぐに検索し、動画で学ぶことができる時代に生きています。
わからないことがあっても、誰かに聞く前にYouTubeやSNSで答えを探そうとする姿勢は、
ある意味では主体的な学びとも言えます。
しかし、この便利さが裏目に出ることも少なくありません。
たとえば、誤った情報を真に受けたり、信憑性の低い知識を「正しい」と思い込んだりすることが、
日常的に起こっているのです。
特に低年齢の子どもにとって、情報の取捨選択は容易なことではなく、
「誤学習」や「偏った認識」をそのまま吸収してしまうリスクは高まっています。
また、画面越しの学びは、深い対話や感情のやりとりが伴わないことが多く、人
との関わり方や言語的コミュニケーションの発達においても懸念される面があります。
人と目を合わせて話すことの意味、相手の表情を読み取る力、
相づちや言葉の抑揚など、実際の人間関係の中でこそ育まれる大切な力は、ネット空間だけでは身につきにくいものです。
さらに、インターネットを通じた「学び」は、習慣化しにくいという課題もあります。
調べることはできても、それをもとに自分で考え、整理し、
実際に行動に移すといった一連のプロセスは、繰り返しや継続を必要とします。
つまり、学びを「自分のもの」にするには、やはり日々の積み重ね=習慣が欠かせないのです。
その意味でも、子どもたちの健全な成長を支えるには、
情報の「量」よりも「質」、そして「体験に根ざした学び」が重要です。
料理の仕方を動画で知ることと、実際に包丁を握ってみること。
あいさつの仕方をアニメで見ることと、自分の声で「おはようございます」と言ってみること。
そこには大きな違いがあります。
子どもたちが見ているのは、いつでも私たち大人の姿です。
親が読書をしていれば、子どもも自然と本を開きます。
先生が笑顔で挨拶をしていれば、子どもも笑顔になります。
そうした小さな積み重ねが、やがて子ども自身の「人生の習慣」となっていくのです。
ですから、今一度、子どもたちの育ちのために、私たち自身の言動や生活を見つめ直してみましょう。
「門前の小僧習わぬ経を読む」のことわざが語るように、子どもは言葉よりも行動から学びます。
そして、正しい情報を見極める目、そして誠実に学びと向き合う姿勢も、最終的には私たち大人の背中から伝わっていくのです。
家庭や学校という「門前」に立つ私たちが、よきお手本であること。
そして、子どもの誤学習や情報の波に流されないよう、温かく、確かなまなざしで見守り続けること。
これこそが、子どもたちの未来をひらく、もっとも確かな育ちの土台になるのではないでしょうか。