孔子の教えから・・・

子曰く、学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや

 

論語よりこの一節があります。

 

子どもには、新しいことを学ぶ喜びを感じさせることが大切です。

知識は身につけるだけでなく、繰り返し実践することで自分のものになります。

 

子どもに同じことを学ばせるにしても、

何か新しいものを取り入れなければならない。

例えば、分数の問題をだすにしても・・・

ひたすら計算を出すだけではなく・・・

文章題や図をつかってやるなり、毎回あの手この手

手を変え、品を変えてみることが大切ではないでしょうか?

 

さらに、例えるならば・・・

常套句である・・・「何回も言っているでしょ!」

なんていうことも、毎回同じことを言うのではなく

気づかせ、感じさせるように手法を変えてみるなど工夫が必要ですね。

だから、諦めることなく

子どもを信じて、あの手この手を使うべきなのだと思います。

 

それが、新鮮さを呼び・・・学習意欲も向上していくのでしょう。

その敷石や、大人が用意したレールの上でも・・・

子どもは心を感じて新たな学びへと意欲を燃やすのです。

 

これを止めてしまえば・・・

子どもの可能性をあきらめてしまっているとも言えるのではないでしょうか?

 

 

また、孔子はこのような言葉を残しています。

 

三人行けば、必ず我が師有り。

その善なる者を択びてこれに従い、

その不善なる者はこれを改む。

 

意味としては・・・

三人で行動すれば、必ず自分の師となる人がいる。

その中で、善い行いをする人がいれば、

それを選んで見習い、善くない行いをする人がいれば、

それを反面教師として自分の行いを正すべきである。

 

子育てや学びへの応用:
・子どもに「誰からでも学べる」という姿勢を持たせる。
・良い友達の行動を見て、それを取り入れるよう促す。
・悪い行動を見たら、「自分はそうならないようにしよう」と考える習慣をつける。

身近な出来事の中で、常に成長の機会を見つける大切さを教えてくれる言葉ですね。

 

くき学園の中では、様々な個性を持った子どもがいます。

しかし、この教えから・・・どの子も我が師なのでしょう

 

大切なのは・・・この中で、善悪を鍛え成長させれば

誰からでも学べるのです。

そして、これを学びたいと考えることが何よりでしょう。

気づいて感じて考える力があれば

学ぶ機会はどこにでもあるのです。

 

また・・・

 

孔子は教えるということは

なんでもかんでも弟子に

説明するのではないと言う。

「弟子が行き詰まった時に、

初めてその障害を取り除いてやり、

また意味が少し理解できかかって、口で表現しようと詰まっている時に

初めて手伝ってやる。

学ぶ側が熱心でなければ教えても、無駄なことである。

そして、啓発してやる時はその一端だけを示し、

残りは自分で発見理解させることだ」

 

四角の物の一隅だけを挙げて教えて、

残りの三隅は教えずに自分でわからせる。

 

以上が、孔子の教えです。

ご参考に・・・