人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くがごとし
急ぐべからず
不自由を、常と思えば不足なし
徳川家康
ここ数年、大河ドラマでは「どうする家康」があったり
映画では「もしも徳川家康が総理大臣になったら」
今の時代だからこそ、注目されやすい徳川家康ですが・・・
こんな名言を残しています。
どんな子であれ、軽い荷を背負って近い道を行くことはないでしょう。
この世に生を受け、重い荷物を与えられ・・・気が遠くなるほど遠い道のりを歩いているのです。
だから・・・急いではいけないと言っています。
しかし・・・急かしてはいないでしょうか?
天下人となり300年近い、安定した幕府を開いた徳川家康ですが
その生い立ちは、父は家臣に暗殺され・・・幼いうちから、織田家や今川家に人質として
転々として暮らし。
その後は、今川家の先方として日高城へ進軍します。
快進撃でしたが・・・
今川義元が桶狭間の戦いにて討ち取られると・・・立場が変わります。
しかし、機転を利かせて岡崎城へ帰り・・・
その後、織田信長と同盟関係を結びますが・・・
内政は、一向一揆によって脅かされます。
今川家から独立し、戦国大名となるも・・・東には武田信玄など強豪ぞろいです。
何度も脅かされ・・・
ついには、三方ヶ原の戦いで・・・惨敗をしてしまいます。自らの命も危なかったようです。
やがて、織田徳川連合軍によって長篠の戦いにて打ち破ったのはよかったものの
その後、嫡男と正室が織田信長の命令によって切腹させられ
その頼りの綱の織田信長は・・・本能寺の変にて・・・
堺にいた、家康は命からがら・・・伊賀を越えて帰ります。
それから、豊臣政権となり・・・小牧長久手の戦いでは、優勢だったものの和睦を余儀なくされて
天下統一目前の小田原攻めのあとは、旧領地を捨てさせられて、江戸に転封されます。
秀吉なきあとは、文知派と激突し関ケ原の戦い・・・それから、豊臣恩顧の大名を傘下にして
3年後に・・・やっと、江戸幕府が開かれました。
アップダウンの激しい一生です。
しかし、そんな家康だからこそ・・・揺るぎない幕府を開くことができたのでしょう。
だから、鳴かぬなら鳴くまで待とう不如帰と言われる家康の所以です。
ただ、重荷を背負って遠くの道へ行く間に、それだけ、知情意のバランスの取れた人間力を養ったのでしょう。
さて、平和な現代といえども・・・
子どもたちには、様々な重荷が課せられています。
便利といえども・・・タブレットによって・・・
感染症によって・・・虐待によって・・・ヤングケアラーによって・・・
重荷を代わってやることは、さすがに難しい。
また、これはやってはいけないことでしょう。
ならば、せめて・・・遠き道のりであれ、道に迷うことなく我々が導いてやる事ならできます。
それが、合理的配慮であったり・・・
不安を取り除くための・・・支援であったりするのでしょう。
また、進んで前に進めるように環境を整える必要もあるでしょう。
そして・・・決して急かしてはいけません。
また、希望もしていない道に押し込んだり引きずり込むなんていうことは、あってはいけないことです。
また・・・「不自由を、常と思えば不足なし」
便利だ・・・なんて言われているタブレット。
久里浜医療センター名誉院長・顧問の樋口進先生がおっしゃられるに・・・
「なきゃないで、なんとかなる」
と、子どもに思わせるのが一番良いということです。
それに・・・何か欠点があって当たり前。
それが、人間らしさなのです。
家康だって、よく爪を噛んでいたそうです。
その欠点を・・・当たり前だと思えば・・・不足はない話です。
むしろ、それがあってこその人間力の育成なのです。
そして、晩年に・・・
「重荷が人をつくるのじゃぞ。身軽足軽では人は出来ぬ」
「及ばざるは、過ぎたるより勝れり。」
「勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る。」
こう遺しているのです。
重荷を背負った子どもたち・・・
私たちのできることは?