「わからない」からこそ・・・

 本日、学園顧問、元小学校長(市教委経験)と話し合いを・・・。

今の教育界について・・・、今の子どもたちの実態・・・その手立て

不登校増加傾向、その裏には、ゲーム依存、昼夜逆転、

親子関係の崩れ、教員との関わりの悪さ、学校でのいじめ(教員の手立て・・・)・・・

家庭教育力、学校教育力、地域教育力の低下・・・

合理的配慮(義務化されている)の無さ・・・

このままでは、ダメ。

 

義務教育終了時、進路選択・決定の際、人生の大きな大きな岐路にもかかわらず、

中学校3年生担当教員の安易な言葉、言わないとは思いますが・・・。

あなたは、点数が悪いから・・・

あなたは、そんな考え、ダメ・・・

あなた、何を考えているの・・・

あなた、勉強全然してないでしょ・・・

あなた、高校なんて無理・・・

あなたは、ここしかないのよ・・・

 

子どもは、自尊心ガタガタ、

子どもの芽を摘んでしまう・・・

子どものやる気を失くさせる・・・

 

児童憲章の考え、インクルーシブ教育の考え、共生社会の在り方、

合理的配慮一切なしの考え・・・

非常に、有意義な時間となりました。 教育立県彩の国学舎くき学園としては、

学校教育の補完、家庭教育の支援を更に、充実させなければと。

学園の存在意義、存在価値、そして、使命感の重さを・・・。

 

是非、学校と真の連携をしたいものです。

伸びしろ、可能性を持った子どもたち・・・、

将来を担う子どものために・・・

ある子の宿題での出来事・・・

 

ある児童は、宿題のひっ算の計算にて・・・100の位から答えを出そうとするのです。

また、すべての位に繰り下がりをしてしまっていました。

指導要領に従い・・・1の位から、淡々と説明をするも・・・

「がっこうで・・・これでいいって言われたもん!!」

と、怒り始めてしまいました。

「もうやらない!!」

とも・・・。しかしながら、ここで・・・こうだから、こう”やりなさい!!”

というのは、とても簡単です。しかしながら、「やらされた」学習は永久に心に残ることはないでしょう。

かといって、「やらなくてもよい・・・」は論外です。

 

ほとんどの子どもというのは、間違うことを嫌います。

間違うことを恐れます・・・ わからないことは、やりたくありません・・・

だからこそ、学習には信頼関係が欠かせないのでしょう。

 

しばらく間を開けて・・・気持ちを落ち着かせて・・・

慌てずに・・・ リラックスして・・・

もう一度・・・2桁と1桁の引き算からやり直しました。

もちろん、スイスイと解けます。そして、本人の希望で・・・繰り下がりが必要な問題を・・・

すると、これまでの計算とは違ってケアミスが多くなるのです。

「あれぇ?さっきまでできていたいのに・・・」

「じゃあ、パターンをわけて・・・」

それから、数十分・・・だんだんとケアミスもなくなってきました。

それどころか、教わったパターンからではなく自分から気づき手順化しているのです。

 

さて、いよいよ・・・3桁3桁の引き算。

2桁で培った計算技能を活かしたら・・・難なくできました。

何とか躓きが解消できました。しかしながら、私はその子に対して「計算技能」だけが伸びたとは考えません。

壁を与え、乗り越え・・・心が磨かれたと感じています。

 

だから、その喜びは・・・お父さんに、とっても大声で。

その喜びこそ、指導員をやっていてよかったと指導員冥利につきます。

 

 

 

また、中学生教室でも、ある生徒が比例・反比例の問題ですっかり迷子になっていました。

もちろん、原因は代入が苦手であったことで、すでに解決したかのように見えましたが・・・。

「もう・・・俺わからない・・・この問題捨てる!!」

とまで言いました。しかしながら、捨てきれないのです。

 

その生徒は・・・憧れの高校生の先輩によって・・・

本当にスモールステップにて問題を解きなおしました。

すると・・・

y=ax+bから・・・

無事に傾きも切片も求めることができるようになったのです。

 

思い起こしてみれば・・・その高校生の先輩というのも・・・

英語では、三人称単数のSが毎回抜けていたり・・・

正負の数では・・・±の符号が、いつも逆だったり・・・

 

しかしながら、何枚も何枚も壁を乗り越え・・・自分を磨き・・・

自分色に輝こうと高校へ進むことができました。

 

決して、結果を焦らず・・・温かく見守り・・・

「失敗しても大丈夫・・・」「間違えても大丈夫・・・」

と、安心させてあげることが大切ではないでしょうか?

 

また、”「わからない」ので学習する”を当たり前にすることです。

わからないことを学習することを当たり前にさえできればいいのです。

 

焦っていませんか?

知らずのうちに「やらせ勉強」をやっていませんか?

決して良くないですよね・・・

 

ヤレヤレ・・・、やらせっぱなしで、見届けなし・・・