子どもを見てると、適切な指導とは・・・

子どもは、十人十色・・・。皆個性・特性が違うのです。

当たり前です。

 

視覚的学びが得意な子・・・、

聴覚的な学びが得意な子・・・。

実は、本日、ある小学校の校長先生と話し合いを・・・。

やはり、子どものことで・・・、子どものために・・・。

まずは情報交換、マル秘の話も・・・、

本当に、一児童ですが、我が子意識を持って、

真剣に考えているように思えました。

更に、法的なことも、相当知っていて、法の下、今後、学校として・・・。

学園(民間団体)との連携の重要性も知っていて、

今後も、連携をし、児童をよりよく成長させていきましょうと。

非常に立派な校長先生でした。

 

 

ある子どもが、点数ばかり気にしていたのです。テスト、全部よい点数だったと・・・。ちょっと威張っているような言動が・・・。

ある指導員が、気づき、即、この子を呼んでお話を・・・。お話を終えたあとの言動、ガラッと変わっていました。

 

子どもにとって「学力:知識」はないより、あった方がよいに決まっています。

 

けれど、学者であれ、教授であれ、校長であれ、社長であれ・・・、どんな人でも、知識をひけらかすのは、どうでしょうか・・・。こんなことも、あんなことも知っている・・・と言われると、高慢が鼻について、感心するよりうんざりしてしまうのでは・・・。

 

一方で自分なりに物事を追求しようという「探究心」「研究心」を持ち続けている人は、非常に魅力的であり、素敵な人と思うのですが・・・。

「知識」は、ひけらかすものではなく、さりげなく出すのがスマートなのでは・・・。人が知らないことを知っているのは素晴らしいことではありますが、出し方によっては・・・。

 

本日、子どもたちを見ていると、皆、「スマートな学び」をしているのです。学校の宿題が終わって、別な学習をしている子が沢山いました。誰一人、自慢げに学習をしている子はいません。「先生、この問題、分かりません」と、「友に、簡単な質問をして・・・、そうなんだ」と、学びに対して追求する姿が多々・・・、「聞くのは一時に恥」と言いますが・・・。特に質問された子が、丁寧に、わかりやすく、簡単な言葉で、説明している姿、本当に本当に素敵でした。

 

各教室を見てますと、アクティブ・ラーニング:指導員が一方的な指導ではなく、子どもが主体的・対話的に、少人数でディスカッションしている姿が多々・・・。グループ・ワーク的な学びであったように思えます。

相談学習:教え愛、助け愛、支え愛、語り愛:バズ学習的な「学びの雰囲気」が、あちらこちらで見られました。

 

指導員が、学びの雰囲気をつくっているのです。

○子どもにとって何ができるのか

○子どもが、何を学んでいるのか

○子どもが、どのように学んでいるのか

○子ども一人ひとりの発達をどのように支援するのか

○子どもにとって、何が身につくのか

○子どもが、学習するために何が必要なのか などなどを考えているのです。やれやれ学習は・・・。

 

ご家庭でも是非考えて頂ければ・・・。

 

ある生徒が、久しぶりに笑顔で登校・・・。大きな大きな心の壁を乗り越えてのことと考えます。

この1週間、葛藤の日々を送っていたことでしょう。

よくぞ、自分自身を振り返り、自分自身を見つめ直し・・・、自分に打ち勝ったのです。

これこそ、今の子どもたちに経験をしてほしいことです。

指導員としては、ちょっと怖かったですが・・・。

やはり、保護者の方が・・・。

これにより、親子の絆の深まりにも・・・。

この生徒、これから、更なる更なる成長に・・・。

真の進路選択・蹴ってに・・・、

そして、明るい将来に・・・。

補足:数学の講義中、質問をしていた姿、最高に「素敵」でした。

 

幼児児童において、教室での学び、更に今日は図書館に行っての学び・・・・。

小さいなりの「探究心・研究心」が・・・・・。生きる力のはぐくみに・・・・

 

ある教室でも、個別学習のように見られましたが、時折、となりの子の学習を見させたり・・・、となり子に質問してみたり・・・、

やはり、ある意味「探究心・研究心」のはぐくみとなり、和やかな学びの雰囲気でした。

 

中高生においても、上記のような「主体的・対話的で深い学び」であったように思えます。

教育・療育は、生きる力のはぐくみ・・・・。                         

 

生きていくためには、確かな学力、豊かな人間性、たくましい体(健康・体力)、

そして、最近よく言いますが、

知・情・意のバランスのとれた人間力のはぐくみを。

これこそ、本学園の基本です。改めて、各教室を見て感じたところです。

 

 

 

我が子への愛あるしつけ(家庭教育)において

留意してほしいこと:考えてほしいこと

 

小学校低学年の際、学習面も、生活面も、我が子のためにと、

いろいろ先走って、親が手出しをしてしまい・・・。

それによって、今、中学年にて、ある意味、壁にぶち当たって・・・。

良かれと思ったことが・・・。

 

過干渉と過保護

大切なわが子のために、

親が子どもに「何かしてあげたい」

「辛い思いをさせたくない」と

思うのは自然なことですよね。

しかし、それが度を超すと“過保護”や“過干渉”になってしまうのです。

 

「過干渉」は、子供の意見を無視して行動や考えを極端に制限することを指し、

「過保護」は、子供の意見を尊重するものの甘やかしすぎる、という明確な違いがあるのです。

 

別な視点で言うと・・・

「過保護」は、子どもが望んでいることをやってあげすぎること。

 

「過干渉」は、子どもが望んでもいないことを親が先回りしてやりすぎること。

 

 

過保護の意味:過保護な子育てはどんな状態・・・

 親が子どもの面倒を必要以上に見ること。子どもが望むことを親が過度に受け入れ、やりたいようにさせてあげたり、子どもが失敗しそうなことは親が前もって手伝ってあげたりします。

ある程度の年齢になれば、身の回りのことは自分でできるようになります。しかし毎朝、子どもの着替えを手伝ってあげたり靴を履かせてあげたりすることなどが該当します。

また、おもちゃ屋などで「買って!」と駄々をこねる子に対し、さほど抵抗を示さず買い与えてしまうのも過保護にあたります。

 

失敗や挫折といった経験を先回りし回避してあげれば、

親は子どもが悲しむ姿を見ずに済みます。

子どもの望むことをさせてあげれば、

親は常に子どもの笑顔を見ていられます。

そこには「かわいい子どもの要求を拒否して子どもに嫌われたくない、嫌な思いをさせたくない」という気持ちが働いていると考えます。

 

親が子どもの望みに反する行動をとれば、

子どもは泣いたり怒ったりして抵抗することもあるでしょう。

これはしつけ(家庭教育)をしていれば、日常的に起こる光景です。

一時的な衝突で子どもが親を心から嫌いになってしまうことはありません。

 

 

過干渉とは:過干渉は子どもの自立の芽をつぶしてしまう・・・

過干渉とは、過剰干渉のことで、子どもが自分の判断で考えて悩んで行動するところを、親が先回りしすぎることで子どもが自発的に何かをする芽をつぶしてしまうのです。

それでも親が良かれと思ってあれこれと手を出し口を出し続けてしまうと、「過保護にする」とは対照的に、いつまでも親に依存して自立が遅い子どもになってしまいます。

過干渉な親の心の奥に潜むのは、「子どものため」という思い以上に、「親の思い通りに子どもを育てたい」というコントロール願望かもしれません。子どもに対して熱心な人ほど陥りやすく、自分では気づきにくいのです。

子どもの時間割を毎日親が率先して用意する。
子どもの友達を親が選ぶ。
子どもの進路や就職先を親が勝手に決める。

干渉は子育てをしている以上必要なことですが、子どもの自立の芽を摘むようなことになる過干渉には気を付けたいですね。

 

教育立県彩の国学舎くき学園としては、

何もかも、人が先回りすることなく、失敗もたくさん経験させて、助けを求めてきたときに、手をさっと差し伸べられるような教育を・・・。これって、日々、子どもの言動を見ていなければ・・・、非常に大変ですが、学園職員は、大変と一切言わず、子どもの変容のためと・・・、頑張っています。

 

保護者の皆様、真の愛情って・・・、再度。

「過保護と過干渉」について、

考えて頂ければ・・・。

我が子への接し方、かかわり方をも・・・。

是非、是非に・・・。

頑張っていきましょう・・・。