宿題のプリントを前に・・・腕を組み悩んでいる子がいました。
問題は「203÷29」
なんで・・・なんで・・・
教科書通りに、指導するも・・・
なんで・・・8だとオーバーするのだろう?
なんで・・・6で・・・余りが「29」だとだめなの?
うーーーん・・・うーーーーん・・・
わり算で一番といっていいほど、つまづきやすい・・・目安をつけるということです。
教科書通りにやれども・・・納得がなかなかできないのです。
すると・・・ある児童があることに気づきました・・・
「ちがっててもいいんじゃない?自分でこれだと思った数字をいれてみたらいいよ・・・」
「まちがってたら?」
「また、違う数字でやればいいんじゃないかな?」
すると・・・ホワイトボードを前にして
「7」と書いてみました。
「9×7で・・・63で・・・」
「あれ・・・ぼくさっき・・・9×7は64って書いてた・・・」
そして、その子の心に意欲の火が灯りました。
確かに計算慣れしていませんから・・・検討する数字がなかなか上手に出ませんが
徐々に検討のつけ方が、習うものではなく慣れることに気づき始めたのです。
気づいたころには、プリントは何度もやり直したせいで・・・消しゴムによってボロボロになっていました。
これが、努力ですね。
「間違えていいんだよ・・・」
「間違えたって、何度もやればいい」
「間違えたとしても、励ましてくれる先生や仲間がいる」
これが、教室の本当のあり方ですね。
どの子でも・・・どんな子でも・・・
間違える事、とても嫌なものです。もちろん、大人だって嫌です。
しかしながら、この間違えがあるからこそ・・・
それを消化して、受け入れて・・・先に進むことができるのです。
やってみないことには分からない。
例え・・・それがどんな遠回りをしたからと言って
いつか答えに辿り着くことこそ、真の学習です。
まさに、急がば回れです。
教室は変わって・・・歴史の授業。
歴史上の人物・・・英傑もいれば・・・もちろん、暴君もいます。
私は、一社会科教師として・・・
この人間らしい生き様があるからこそ、今の現代があることを
機会があるたびに説いています。
例えば、関ケ原の戦いの石田三成。
大変、義に重んじ・・・高潔ながら・・・
最終的には、人望が得られず・・・数々の裏切りにあってしまう。
また、その陰には今でも「古だぬき」と呼ばれる徳川家康の存在あってこそなのです。
その失敗があってこそ・・・徳川幕府は300年にも続く幕政があるのです。
応仁の乱・・・
細川・斯波・畠山の三管領の乱れから・・・各地の大名に戦火が飛び火して大騒乱の戦国時代を迎えます。
その戦乱あって・・・
その鎖国があって・・・
その千利休の切腹あって・・・
全ては今に・・・
しかも・・・完全じゃない人間が作った法律だから
完全なものではない・・・しかしながら、心血を注いで完璧なものを目指したものが法律であると・・・。
だから、その間違えこそが最高の教材であると言えるのです。
「つまづいたおかげで・・・」あいだみつを
つまづいたり ころんだり したおかげで
物事を深く考えるようになりました
あやまちや失敗をくり返したおかげで
少しずつだが
人のやることを 暖かい眼で
見られるようになりました
何回も追いつめられたおかげで
人間としての 自分の弱さと だらしなさを
いやというほど知りました
だまされたり 裏切られたり したおかげで
馬鹿正直で 親切な人間の暖かさも知りました
そして‥‥
身近な人の死に逢うたびに
人のいのちのはかなさと
いま ここに
生きていることの尊さを
骨身にしみて味わいました
人のいのちの尊さを
骨身にしみて 味わったおかげで
人のいのちを ほんとうに大切にする
ほんものの人間に裸で逢うことができました
一人の ほんももの人間に
めぐり逢えたおかげで
それが 縁となり
次々に 沢山のよい人たちに
めぐり逢うことができました
だから わたしの まわりにいる人たちは
みんな よい人ばかりなんです
私は・・・どの子にも、どんな子にも・・・
いつかいつか・・・沢山の良い人たちに会ってほしいと思います。
だからこそ、つまづきを恐れない・・・
向上心のある・・・
夢がいつか叶うと信じた
心が豊かな子になってほしいのです・・・。